僕の大好きな概念です。
学生の時、数学Bで習ったやつです。
専門的なことは全然わからないんですが、概念としての数学は、すごく好きなんですよね。
ベクトル自体の説明は、ちょっとようしませんので、すみません。ググってください。笑(ググります。「ベクトルとは」)
ベクトルって数学の概念ではあるんですが、哲学的というか、人間も一緒やなと思うんです。
たとえば仮にステンレスという材質に対しての知見をAベクトル(この記事内に限って便宜上A→と表記します。以下同じ)、溶接に対しての知見をB→、ウェブサイトに対しての知見をC→とした時、Xさんのもつ技術とかノウハウをX→とすると、こう表せるかもしれません。
X→=A→+B→+C→
ここにXさんの先輩、製造部のYさんがいて、Yさんの技術ノウハウをY→として仮に次のように表します。
Y→=2A→+3B→
ここにウェブに強いZさんがいたとします。次のように表してみます。
Z→=4C→
三人寄ると文殊の知恵じゃないですけど、3人が力を合わせれば、こう表すことができます。
X→+Y→+Z→=3A→+4B→+5C→
こうやって、力が合わさって、1人ではできないことが集まればできるようになる、というのは、まさに会社とか組織の姿やと思うんですよね。
それと、おもろいなと思うのが、ここでいうA→、B→というのが、実際には言葉で表現できないようなベクトルでたくさん存在する、ということです。
例えば、言葉遣いが丁寧とか、字が綺麗とか、返事の声が大きいとか、なんでもそうなんですよね。
それぞれ、言葉遣いが丁寧ベクトル、字が綺麗ベクトル、返事の声が大きいベクトルになって、その人を構成してます。
上記は、まだ書き易くて、もっと他にも、断言するときに指を振る癖があるとか、3回は確認しないと作業を進めないとか、たまに踊り出すとか、ホンマに何でもなんですよね。
くどいですけど、断言するときに指を振る癖があるベクトル、3回は確認しないと作業を進めないベクトル、たまに踊り出すベクトル、になると思うんです。
もしかしたら、便所に行った後手を洗わないベクトルとか、初対面の人とは一回ケンカしておくベクトルとか、目上の人にも基本タメ口ベクトルとか、あまり歓迎されないものもあるかもしれません。
上記で、Xさんのもつ技術とかノウハウをX→とすると、こう表せる「かもしれません。」と書いたのは、実際は表せられないからです。
それはそれは、おびただしいほど多くの種類のベクトルで人間が構成されてると思います。
少なくとも、実際は後輩のベクトルを、そっくりそのまま何倍かにしたら先輩のベクトルになるわけではない。
むしろ社歴の浅い社員が、たまたま持っていた、すごい変わったベクトルによって、何かが達成できることもあるわけです。
すごい短いベクトルであっても、そのベクトル自体がめちゃくちゃ威力のあるベクトルかもしれませんやんか。
しかも、そのベクトルを持ってない人には価値がわからないし、存在が見えないんですよ。
だからこそ、頭ごなしに怒るとか、したらあかんのちゃうかな、と思います。
ただ実際は、たとえば「コピーを取る」とかの、仕事に使うほとんどのベクトルで、先輩が後輩を上回ることが、ほとんどやと思うんですけどね。
コピーを取るベクトルが、先輩の方が長ければ、先輩はその点では指導するべきですし、指導できますよね。
例外は、師匠と弟子の関係やと思います。
ほとんどの世界で、師匠と弟子という関係は、もうなくなっているかもしれませんが、師匠のやることなすことを吸収するのが弟子の努めですよね。
弟子は少なくとも教えを乞うている間はベクトルの向きは同じで、長さが圧倒的に短いか、まだ無い状態、そっくりベクトルが被っている状態やと思います。
ひとまず師匠の長さを目指す、というのが筋であるように思います。
そもそも、そのための弟子入りやと思うので。
師匠→=n×弟子→
なので、
弟子→=師匠→/n
これでは、弟子は師匠のやることに、口出しできないように思います。
中小企業は特にそうですが、働く人の力が、そのまま会社の力になることが多いです。
中小企業というのは、代表者含め個性のある形の石が固まってできた岩のようなものだと思います。
全員が綺麗なレンガのような形をしていれば、積み上げることに苦労はないかもしれません、でも実際はいろいろな形の石があり、それをどう積めば全体として強く、味があって、人を傷つけない角の立たない岩にできるか、というのが経営者の仕事だと思います。
それぞれが楔(くさび)のように打ち込まれ、積むのに苦労した岩は、そうそう簡単に崩れることはありません。
そして、実際に、強烈な個性をもった職人が、とんでもなく良い仕事をする、ということが職人の世界ではよくあります。
長短様々な、もんのすっごいたくさんのベクトルをもった組織になっていきたいと思います。