ゆるさって結構大事なんですよね。
流行りかもしれません。
緩いということは、締まっていない、弛んでいる。
つまり、よくない。
という時代はあったと思います。
言葉というのは面白いもので、時間が経つと意味が変わったり、言葉の形が変わったりします。
新しい、という言葉がありますが、元々は新たし(あらたし)、で新し(あたらし)は音が転用されたものだったそうですね。
時代が変わって、みんなが間違って使ううちに、もうそっちでもええやん、となって、正規採用される。笑
今は、新しい、と、新たな、というように両方使いますね。
近年では、重複、の読み方なんかもそうですね。
自分が小学生のときは、ちょうふく、と読めと。
じゅうふく、と読むのは間違いやと習いました。
こだわり、なんかは意味が変わってきたパターンです。
拘泥する、という意味で、もともとは良い意味は無いです。
今では良い意味が足されましたね。
逆に、微妙、という言葉は近年、あまりよく無い、という意味が足されました。
妙という字は、妙案なんかに使われるように、並外れて素晴らしい、という意味です。
なので、微妙、はとても素晴らしい、という意味と、どっちとも言えないくらい細かい、というような意味で、否定的な意味はありませんでした。
今では、微妙やな、と言うと、ああ良くはないんやな、と捉える人の方が多いんではないでしょうか。
僕も後者の意味でよく使います。笑
ゆるキャラというのも出てきて久しいですが、ゆるさ、というのも、良い意味が足されたパターンなんかなと思います。
ちなみに辞書を紐解くと、固さが足りない、勢いが弱い、だらけている、という塩梅で、明らかに良い意味である、という言葉ではないです。
現代風に解釈すると、程よい緩和がなされた、という感じでしょうか。
こう書くと、なんかええやんという雰囲気が出ますよね。
で。
程よい緩和、って大事やと思うんですよね。
ちょっと強めに言うと間の抜けた感じ。
僕は、間の抜けた感じ好きなんですよね。
こう、シュッとしてない。
todoroの製品名も、ちょっと間の抜けた感じがええなと思ってて、sunokoとか、chikuwaとか、kushidangoとかにしてるんですよね。
バリバリに決めてない感じ。
真剣で、張り詰めた感じももちろん大事なんですが、緩める瞬間があってこそ、その真剣さが生きてくるという感じ。
メリハリとも言いますね。
柔軟なアイデアは混沌から生まれる、とも言われます。
意外と仕事中うんうんとうなっても解決策が見つからんもんが、週末子供と一緒に戯れてるときに思いついたりもします。
まあ自分なりの角度からやってみよかな、という感じですね。
楽しくやる、とかいうのが声高に叫ばれている時代なので、その辺りと融合してるんかな、というのもあります。
ちょっと最近そっちにより過ぎちゃうかな、というのも危惧してますけど。
楽しくないものは悪、みたいな風潮はちょっとちゃうかな、と思うので。
なんでもかんでも楽しまんとあかんねん、みたいになってきますからね。
顔引きつりますわ。笑
また、世間の価値観も変わっていくと思います。
では、ぬるさ、はどうでしょうか。
姿勢や態度に使うとき、あまり良い意味では捉えられないと思います。
努力が足りない、考えが甘い、準備が不十分、という塩梅でしょうか。
同じ失敗するにしても、ぬるさの中で起こった失敗は次に繋がりにくいように思います。
やっぱりぬるいのはアカンのかな。
例外が一つ。
ちょっと肌寒くなった秋口のぬる燗は、なかなかええもんです。笑