平岡さんち

同族企業という言葉があります。

いわゆる特定の家の親族たちが主となって経営層を作っている企業のことです。

自分とこもそうなんですが、なんか否定的な響きを感じて、あまり好きな呼び方じゃないんですよね。

実際、親の跡を継いでますし、家業であることに違いはないんですが。笑

関西には同族企業が多いとか、関西の同族企業は利益が少ない、とか聞いたことがありますね。

小規模の企業となると、同族の会社は、すごく多いと思います。

特に製造業であれば、技術や信頼の継承に時間がかかるので、人を確保するという意味では、身内に後を継がせるのが手っ取り早いので、とても自然なことやと思います。

平日の9時から17時までの給料貰ってる時間だけで、その会社の経営を学ぶ、というのは実際難しいと思いますし。

僕はそうでもなかったんですが、自分の親が自営業やと、ある程度年齢を重ねると、もしかしたら俺がやるんかな的な、雰囲気というか見えない決意的なものが形成されやすくなります。

本人だけじゃなくて、周りもそういう雰囲気になっていきますからね。

この、その気になる、という点は、けっこう重要やったりします。

上に書いた同族企業は利益が少ないというのも、ホンマかどうかは知りませんが、思い当たる節はありますね。

なぜ利益が少ないのか。

1点目、よく言われることですが、優秀やから家業を継ぐわけでは無い、ということですね。

これは僕の持論ですが、会社の中に一番社長として適任の人がいれば、別に子供や親戚じゃなくていいと思うんです。

自分もそうですが、別に優秀やから後を託されたわけじゃないです。

逆に言うと、社長として優秀じゃない人が社長をやる可能性が、同族企業は高いわけです。

経営という点では、会社にとっては大いなるリスクですよね。

利益を出せなくても責任を問われず社長をやり続けられる立ち位置にいる、ということですから。

ああ、書いてて目が痛い。笑

まあ逆に経営をサボると家計が傾くから頑張る、というのもあるとは思います。笑

2点目、家業でやってると、あまり利益ばかりを追求しなくなりがち、ということもあります。

ようは、利益を出すことに対して、あまり貪欲にならない体質がある、ということです。

人助け的な感覚が強くなって、営利感覚というか商売っ気がなくなるんですよね。

頼まれると断れない、とかこれですね。

丼勘定の自転車操業、よくありますよ。笑

1点目とも関係があるかもしれません。

赤字でもクビにならないですから。笑

この点は良し悪しあります。

最初に書きましたが、信頼とか技術とかは、とても形成に時間がかかるため、短い期間では芽が出にくい。

短期での利益という目の前のニンジンを気にせずに経営判断ができる、というのは良いところです。

例えばこれが任期10年とか決まってる、オーナーではない社長やと、11年以上かかる施策は取りにくくなるでしょう。

10年頑張った自分は評価されず、次に社長やる人の手柄になってしまうわけですから。

任期5年とかやと悲惨ですね。

そして実際は、より大きな問題を解決しようとするほど、時間がかかります。

解決に10年以上かかる企業の問題なんて、腐るほどあります。笑

悪い点としては、そのまんまですが、あまり利益を追いかけなくてもいいんじゃないか、と思ってしまうことですね。

ちなみに関西人はケチやと思われますが、実際ケチです。笑

というのは冗談で、お金に執着する人もいますが、執着しない人もホンマに多いですね。

知らん人に飴ちゃんくれる話知りません?

ケチなら飴ちゃんくれませんよ。笑

ちなみにホンマにくれます。笑

うちもそうでしたが、お客さんと付き合いが古くなってきたりして、情が移ったりすると、なんとかしてあげたい、とか、昔お世話になった、という気持ちだけで動いてしまうことがあります。

当然、人情や気持ちというものは、とんでもなく大切なものですが、遠い昔にお世話になったことだけを根拠にして動いてしまうと、今お世話になってるお客さんや、大事にしないといけない社員のことを蔑ろにしてしまう可能性があります。

これやと本末転倒です。

確かに時として、お金より大事なものはあります。

それでも、利益だけを追う必要はなくとも、営利組織である以上、利益は必ず追い求めないとだめです。

それと、もし同族企業を経営するのであれば、必ず頭に入れておいた方がいいことがあります。

それは、考え方が一方に傾きやすい、ということです。

親戚の利害は一致しやすいですから。

一族の繁栄みたいなベクトルで経営判断するとそうなる。

同族企業で働く人は、逆に、経営者は一族の繁栄ベクトルで判断してへんやろな、という視点で会社を見るといいかもしれませんね。

以前、うちの会社では親族がたくさん働いていました。

創業時は株式会社の設立に発起人が7人必要だった、という時代背景もありますし、役員に親族が多かったことを一概に悪いことと言うつもりはないです。

ただ、当時、創業から40年ほど経ち、組織として役員の部分が重たくなってたのは事実やと思います。

実質的に経営層として機能していた人数だけでも、僕が入社した時は僕を含めて親族が5人いました。

今は実質的には兄と僕の2人です。

これは、創業時からの親族が退職される前に、おっしゃった言葉なんです。

会社が、平岡さんち、みたいにならんようにせんとあかんよ。

って。

これは僕も元々思ってたことですが、言われてすごく腑に落ちましたし、もう何年も経ってますが、兄と一緒に、たまに思い出すようにしてる大事な言葉です。

特に当時、若い新卒の社員が入社し始めた時期やったので、若い人の居心地が良くなるように懸念しての言葉やったんやと思います。

こういう風に、言いにくいことでもサッと言えるのも親族の良いところかもしれません。

僕は大嫌いやったけど、家族同士のぬるさ、みたいなものが露呈するような会話が当時社内にもあって、特に若い社員は居心地の悪さを感じてた部分があったと思います。

いろいろ乗り越えて今みんなが一緒に働いてくれてるのは、ホンマに嬉しいことです。

僕も含めて、その役職に応じた仕事が出来ない者は、その役職から降りるべきやし、会社とともに沈む覚悟が無いなら、役員やったらアカンと思います。

都合が悪くなったら逃げれば良い、と思っているのであれば、その時点で少なくとも役員でいる必要はないです。

そもそも会社が沈まんように役員を任命されてるはずなんですけどね。笑

家族やからとりあえず役員に、っていうのはちょっと違う。

他の役員にも、社員にも失礼やと思う。

今は法的なことも含めて、僕と兄で会社に関する決定が全てできちゃうので、その重さを律するようにしようと、兄とは話しています。

お山の大将には、なりとうない。笑

現に兄が僕の考えを否定して、一旦停止させられることも、まあまあ、あります。笑

僕が好きな昔ながらの町工場の部分と、昔ながらの町工場の嫌いな部分があって、この点は後者や、ということですね。

温かみは好きなんですけど、馴れ合いは嫌いなんですよ。笑

経営に関する意思決定は、あくまでクールにいきたいですね。

町工場のようで町工場じゃない町工場。

て、やっぱり町工場なんかい!

っていうのを目指しています。笑

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