僕は関西人です。
旅行に行ったり、文化について話してると、この話なるんですけど、やっぱり関西人は笑いが好きなんですよね。
好きというよりも、笑いに対して、すごく真摯やと思います。
しかも、笑いを尊重している。
日頃から、コミュニケーションツールとして、そのメリットを享受しているからこそ、というのもあると思います。
ちなみに関西人ええやろ、という選民思想ではないので、悪しからず。笑
どちらかというと郷土愛に近いです。笑
そもそも関西人がおもろい、というのは、ちょっと違うんですよね。
地域なんて関係ないし、関西弁でなくても、英語であっても、音声がなくとも、おもろいもんはおもろいです。
よう喋る人がおもろいか、というと、それも違います。
周囲がどう思ってるかというと、おもろい、ではなく、しんどい、と思ってます。笑
無口な人でも、おもろい人は、います。
全く喋らない人は、話した内容という情報が無いので、おもろいかどうかがわからない、というのが本音です。
笑いを母国語から外国語に変換して笑いを取る強者もいます。
憧れますね。
関西弁以外で、イントネーションが既におもろい言葉とかありますけどね。
それはそれで、ずるい。笑
容姿とか、性格や、言葉尻を取って、相手の尊厳を傷つけて笑いを取ろうとするのは嫌いです。
下衆ですね。
おもしろくもなんともない。
いい大人がそんなことやってると、正直引きます。笑
僕の周りでは、ですけど、やっぱり頓知とか知恵とかパンチ効いてる返しがおもろいですね。
ユーモア、ウィットに富んでるやつ。
返し、というのはリアクションのことですね。
ツッコミも返しの1つです。
あえて流すのも返し、ですね。
これは好みですが、ロックなものが好きです。笑
弱者を助け、強者を挫くような。笑
強者に対する風刺や皮肉も痛快ですね。笑
国芳の絵のような。
年齢や性別は、まったく関係ないです。
僕のイメージなんですが、一つの会話って、会話に参加している人で作る一つの作品みたいなもんやと思うんです。
作品というと高尚なんですけど。
空間づくり、というか。
ゆうたらチームなんですよね。
会話の起こりがあって、最後に落ちる、という。
別にオチが全てじゃないし、オチがなかろうが面白ければいいと思いますけど。
というか別に面白くなくても、いいんですけどね。笑
途中でその流れを壊すような動きがあると、もったいないというか、もっとこう、その会話を大事にしようやみたいな感じになるんやと思います。
快と不快なら、通常は快を取りますんで。
ラリーの続いたバレーボールとか、記録更新中の大縄跳びみたいなもんですかね。笑
ちょっと、もったいない感じ。笑
関西人はオチがないと怒る、とか言われますよね。
会話に入れ込んだその姿が、そう映るんやと思います。
別に実際怒るわけじゃないです。笑
フリにも色々あって、球技のパスみたいなもんですが、うまい人はうまいです。
キラーパスというか最後のシュートを打たせてあげるようなフリをする人もいますね。
その会話の影の支配者とも言えます。笑
逆もあります。
ツブシ、というか、相手を滑らそうとするフリですね。
テレビ番組で一時流行ったりしました。
ボケにくいし、何ゆうても滑る空気になる気します。笑
将棋の羽生善治さんは、将棋界の伝説的存在ですが、悪手といって相手が簡単なミスをすると不機嫌になることがあるそうです。
普通の棋士であれば、相手のミスは願ってもないことやと思うんですが、羽生さんは違う。
おそらく、勝ち負けでけではない、真に良い対局のためには、悪手は、あってほしくない要素なんやと思います。
人には想像できない頂(いただき)を見ているんやと思います。
利害の一致しない、対面している相手と目に見えない何かを作っていく、という点で笑いに似ていると思います。
実際、羽生さんのインタビューなんかは、声を出して笑うという類のものではなくても、見ていて、とても趣があります。
このあたり、タイガー・ウッズがお父さんから受けたと言われるグリーンベレー仕込みの考え方と近いところがあります。
強者に出会うことが自分を鍛えることになる。
相手が弱くなってしまうと、自分を鍛えられなくなるから困るんです。
機会を逃すから腹が立つ。
全体の尊重が、自分の利益として返ってきている。
循環している。
閑話休題。
会話のアクセントになるのは、ツッコミですね。
一般的には、ボケっぱなしやと、会話が収拾つかなくなります。
会話は流動的なんで、うまい具合にそこにハマるようにタイミングを合わせてツッコまんとダメなんですよね。
やから僕は流鏑馬(やぶさめ)みたいなもんやと思うんです。
しかも的は回転寿司のように常に動いている。
どんなに良い返しでも、タイミングがずれるとだめ。
あえて外す、というのは、よほどの高等テクニックです。
着崩す、というのもそうですね。
きちんと着れるからこそ、着崩せる。
ただ単に邪道を行くのは、だらしないだけです。笑
モテ要素ゼロの格好をしてた10代の自分です。笑
ピカソの絵もそうかもしれませんね。
めちゃくちゃうまいデッサンに支えられている。
僕には全然わからないんですけど。笑
楽器でも、Aという音を440Hzにチューニングするのが一般的ですが、プロの演奏者はホールの状態や湿度なんかによって、441Hzとかにチューニングすることがある、と聞いたことがあります。
どちらにしても、プロの世界というのは、基本的には素人がマネしてはいけない世界です。
生兵法はケガのもと。
タイミングというのは間(ま)、ですよね。
脳でゆっくり考えてると間に合わんくらいの時ありますよね、延髄で指示せんと間に合わんわ、くらいの。
でも考えてから発言しないと、失言となって後悔することになります。
難しいですね。笑
ビートたけしさんが「間」について本に書いていました。
「間」も英語には、しづらいですね。
時間、空間、居間、茶の間。
日本独特のものかもしれません。
間という言葉がそれぞれにくっついてるように、全部繋がってる、ゆうことでしょうか。
居間はリビングに、茶の間はダイニングと言うようになりましたね。
言葉の消滅と相まって、間を取れない、間を取らない人が増えてるんかもしれません。
間が合うと、いろんなことがうまいこといきます。
返しがうまい人は、普段から考えていることにユーモアがあって、相手のことを想っています。
普段から相手を尊重していると、失言は生まれない。
つい口が滑った、と言い訳をする人がいますが、それは、普段からこう思ってんねん、という意思表示をしてしまっていることになります。
言い訳が、既に次の失言になってます。笑
やっぱり僕にとっては、自分なりに考えることが、うまく生きることに繋がってる気がします。
オチませんよ。笑