瀬戸烈さんを偲んで

今さっき、お店にたまに足を運んでいた姉から連絡があって知りました。

瀬戸さんが1月に亡くなっていたこと。

もっと早く会いに行かないといけなかったのに。

直接会ってお礼を言わないといけなかったのに。

瀬戸さんのおかげで嫁はんと出会えたのに。

結婚式に呼ばないといけなかったのに。

不義理をしてしまった。

情けなくて、どうしようもなくて、涙が止まりません。

伝える人がいなくなってしまったので懺悔と一緒にここに書きます。

目次

・瀬戸さんとの出会い

・テアトルで学ぶ日々

・レストランと料理の楽しみ方

・いつも周りに人がいる

・嫁はんとの出会い

・お別れ

瀬戸さんとの出会い

時は20年前に遡ります。

2005年に兵庫県立芸術文化センターという施設が僕の地元の西宮北口という場所にできました。

通称「芸文(げいぶん)」です。

指揮者として著名な佐渡裕さんが芸術監督をされています。

芸文のオープンに合わせてレストランが入ることになり、神戸北野ホテルの系列のイグレックテアトル(igrek THEATRE)がオープンすることになりました。

みんな「テアトル」と呼んでました。

瀬戸さんはテアトルの最初のマネージャーです。

神戸の大学に通う当時19歳の僕はアルバイトを探していました。

結果的に大学4回生の就職活動中の夏頃までお世話になることになります。

実家で姉が僕にバイト情報誌のタウンワークを渡しながら、「ここいいんちゃう?」と指さしたのがテアトルでした。

自分はオープニングスタッフとしてアルバイトをすることになり、テアトルはまだ営業もしていないので、元町のイグレックベガ(igrek VEGA)で研修を受けました。

バイト中には事件も起こりました。

ベガはとても格式の高いお店で、僕からすると料理も一流、サービスも一流、お客さんも一流でした。

仕事に対してすごく真摯に向き合う魅力的な社員さんばかりでした。

テアトルで学ぶ日々

テアトルのオープンに合わせて、僕もテアトルに入り、瀬戸さんから直接指導を受ける日々が始まりました。

テアトルは特殊な店舗で、ただのレストランという機能だけではなく、劇場のホール前のホワイエでも飲み物や軽食をサービスする、という特殊任務がありました。

それが故に勤務形態も特殊で、レストランとホワイエのチームがあり、基本的には別の部隊が動いていました。

劇場の休憩時間になると短い時間で大人数のお客さんを捌く必要があるため、アルバイトのオープニングスタッフはとても多く採用されていました。

全体で80人くらい。

そして黒服を除くと男は自分1人やったと思います。

そして僕は数少ないレストランとホワイエの兼務でした。

男が1人というのもあって瀬戸さんにはよく走らされました。

なにしろ広い芸術文化センター。

ホワイエは大ホール、中ホール、小ホールと点在しています。

しかも新規開店ということで芸文全体が初めてのことに戸惑いながらの運営でした。

コーヒーでも無くなろうもんなら「平岡!走れ!」と、たしか8Lだったと思いますが、コーヒータンクをもってレストランと各ホールの間をダッシュしました。

芸文のスタッフ用通路は迷路のようになっていて、鍵がいろんなところにかかっています。

鍵を受け取り忘れては走って戻り、鍵を返し忘れては走って届ける日々でした。

夏の日にはランチ営業、ホワイエのドリンクサービス、ディナー営業となると時間も長くなります。

汗で潮の吹いたシャツを見て、「着替えてこい、お客さんを不快にさせるな」と叱られ、腕まくりをしては「みっともないから袖をおろせ」と叱られ、本当によく叱られました。

あんたが走らせたんやがな、と思いながら。笑

ただ誓って言えますが、一回も不快に思ったことはありません。

そこに、竹を割ったような潔さと、言われた意味がわかるという納得があったからです。

そして次の瞬間にはもう、二ッと笑ってるんです。

瀬戸さんが多くの人に慕われた理由のひとつです。

レストランと料理の楽しみ方

学ぶことに寛容で、自由と成果を地で行く人でした。

ワインのテイスティングをバイトにもさせてくれて、「ライチの香りとかベリーの香りとか色々言われるけど、言われたままをお客さんに伝えるな。自分で感じたことをお客さんに伝えろ。」と言われました。

お店の運営、という観点だけではなくて、僕ら若い人間の未来を育てる、という気概を感じました。

そして当時瀬戸さんは29歳だったと思いますが、シニアソムリエという通常のソムリエよりも格の高い資格をもってらっしゃいました。

ギャルソンとしての強烈な自信は、血の滲むような修練や勉強の賜物やったんやと思います。

ワインの知識に関しては、あまりにもレベルが違い過ぎて自分には認識すら敵わなかったですが、サービスや料理の楽しみ方も教えてくださいました。

たくさん教わったうちの1つが「フレンチレストランやからと肩肘を張るな、リラックスして料理を楽しめ」ということ。

フレンチと言えばスプーンやフォークがたくさんあるイメージです。

元々銀でできていることからシルバーと呼ぶんですが、料理に合わせてシルバーは変わります。

僕らアルバイトもシルバーを覚えるのに必死でしたが、「客として食べるときにシルバーなんて気にしなくていい。間違えて使ってしまったらお店の人がサッとまた補充してくれる。」と教わりました。

また、フレンチに限らずレストランにはショープレートといって、最初に配膳してあるお皿があります。

アミューズといって料理の前の挨拶代わりの一品が乗ることはありますが、料理が直接乗ることはありません。

これはお客さん歓迎の意を示すためのものだからです。

お店とお客さんは「お皿」を通じてコミュニケーションをします。

お客さんは美味しかったことを、お皿を通じてレストランに伝えます。

なので自分はサービスや料理に満足したら、お皿はピカピカにしておきます。

ついこないだの日曜日に自分の娘と息子に話したところです。

料理や食材やワインのことではなく、テアトルで学んだ一番の宝物は「レストランと料理の本当の楽しみ方」かもしれません。

いつも周りに人がいる

瀬戸さんはいわゆる厳しい人でした。

ただこれは僕の持論ですが、優しい人というのは厳しい人です。

ぬるま湯で美味しい料理は作れないのに似ています。

そして周りをよく見ている人でした。

ある日の営業後、瀬戸さんに呼び出されました。

何やろうと思って話を聞きにいくと、僕の時給を上げるという通知でした。

当時僕は自分の仕事に自信がなく、昇給に見合う仕事をしている自覚がなかったため断ったんですが、最終的には昇給で話が落ち着きました。

おそらく僕のモチベーションやレストランのオペレーションも含めた未来を案じてのことだったんやと思います。

あんなに怒られたのに、不思議とニコニコしているところばかり思い出されます。

自分にもスタッフにも売上にも厳しかったのに。笑

でも売上がたくさん上がった日には、今日は一本付けるでと大入手当を振る舞うような人でした。

まさに、みんなの「親分」という感じでした。

レストランにしろホワイエにしろ、瀬戸さんがいるとちょっとピリピリするけど、みんな安心して仕事ができました。

だって「絶対に守ってもらえる」から。

当時の芸文の大晦日はお決まりで、ホール内でカウントダウンもあり、お祭り状態になります。

営業終了は深夜24時を超えますし、芸文の他の施設と合同の打ち上げもありました。

出演された芸能人の方も来ます。

さらにその打ち上げが終わった後は二次会よろしく廣田神社にお参りに行くのが恒例でした。

もうみんなしこたま飲んでへべれけになってるんですが、まだ神社の屋台でお酒を飲みながら、「おい平岡!おでん買ってこい!」とお札を握らされてコンビニに走らされたことは今でも忘れられません。

理想の上司像として強く残っています。

嫁はんとの出会い

社会人となって働いていたある日、アルバイトの同窓会の案内が届きました。

テアトルで開催することになっていて、もう瀬戸さんはマネージャーではなくなり、店舗も去っていました。

行くことは早々に決めたのですが、その日僕は名古屋に旅行に行って帰ってくる日でした。

同窓会はディナーで開催されていました。

新幹線に乗る時間が予想より遅くなり、もう今からメインディッシュが運ばれるという瞬間に懐かしきテアトルに到着しました。

一番末席で、どうやら参加者が奇数だったようで僕の前は大きな花瓶に入った花。笑

そして隣が未来の嫁はんでした。

アルバイトの期間はかぶっていないので、同窓会がなければ出会うことはありませんでした。

もし名古屋からの帰りがもっと遅くなった自分が欠席していたら。

もし仲の良かった友達の欠席に合わせて嫁はんが欠席していたら。

もし隣じゃなかったら。

文字通り奇跡やったと思います。

その後結婚することになり、結婚式には僕と嫁はんの共通の上司でもあり同窓会を開いてくださった当時のマネージャーをお呼びしたので、瀬戸さんには結婚したことも伝えられないまま何年も経ってしまいました。

僕のテアトルへの採用を決めてくださったのは瀬戸さんなのに。

絶対この話で盛り上がったのに。

そして数年前、たまたま神戸に住む姉が瀬戸さんのお店に何度か足を運ぶ機会があり、その時の話の流れで姉を通じて結婚の報告ができたような次第でした。

電話でもいいから、その時にでもお礼と報告ができていたら。

子供たちがもう少し大きくなったら会いに行こう、もう少しで会えるねと嫁はんと定期的に言っていました。

悔やんでも自分の愚かさと情けなさが募るだけです。

お別れ

やっと涙も乾きました。

あまりウジウジしていると瀬戸さんに笑われてしまう。

これから家に帰って嫁はんにこれ伝えたら、今度は嫁はんが泣くんやろなあ。

ビールなんてずっとキリンの一番搾りやったのに、いつのまにか瀬戸さんが一番好きやったサッポロ黒ラベルになりましたよ。

あの時はシニアソムリエともあろう人が、なんで麦芽100%でもないビールを、なんて生意気に思ってました。

すみません。

そうじゃないんですよね。笑

僕、年間で60本も日本酒飲むようになりましたよ。

そんな話もしたかったなあ。

素敵な指導を、出会いを、ありがとうございました。

結婚式、お呼びしなかったこと、ずっと後悔してます。

でも呼んでたらまた叱られてたかな。

でっかい声で「平岡!走れ!」って。

笑いながら。

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