先生と呼ばれる業種って、けっこうありますよね。
教員、教官、教授、指導員、医師、師範、弁護士、税理士、会計士、社労士、などなど。
共通するのって、やっぱり、教え導くということやと思うんです。
教師とか導師とか師匠とか、言い方も定義もいろいろあるし、その辺りもひっくるめて先生という集合に入ると思うんですけど。
逆に教え導かない人は先生とは呼べないと思うんです。
呼んだらあかんと思うんです。
呼ばれた人が勘違いしてしまう。
教え導くのに先生とは呼ばれない人もいるんです。
職人とかそうですよね。
思い返せば、僕は先生に恵まれたと思っています。
今は勝手に相手を先生扱いして、勝手に目に見えないものをいっぱい盗ませてもらってるんですけど。笑
上司にも恵まれました。
友人にも恵まれました。
小学生の僕に、医は仁術なりという言葉を教えてくれた先生は、ひどい人参嫌いで、給食のときに冗談で人参大盛りにすると、本気で怒ってましたし。笑
家庭訪問の時に、生徒の家でお好み焼きとビールを楽しんで帰る先生もいましたし。笑
内申書に書かれた内容を修正テープで消してくれた先生とか。笑
卒業後にも仲良くしてくださって、一杯飲みながら個人指導してくれる先生もいます。笑
僕、ホンマは先生嫌いやったんですけどね。
なんや、好きになってもてるやないか。笑
出会いは人を変えます。
でも当然ですけど、相性がありますからね。
嫌いな先生はホンマに嫌いでした。
嫌い、というよりも子供から見た1人の大人として尊敬できない、という感じでしたね。
校則とかのルールではなくて、自分の都合で生徒を縛る先生は嫌いでしたね。
やから自分は、しないようにしています。
学校って、ある種治外法権でいいと思うんです。
ある程度、ですけどね。
子供の未来という責任を担っているわけで、子供の特徴も違えば、お国柄も違う。
十把一絡げには進まないと思います。
事なかれ主義で進めてしまうと、水みたいな味の教育になってしまうと思います。
特に大学は、それでいいと思うんですよね。
義務教育でもないですし。
ただ、そう考えると収拾がつかなくなったり、格差が大きくなることも事実。
難しいですね。
三島由紀夫さんが本に書かれていました。
5年かかることは政治問題、10年かかることは教育問題やと。
灰谷健次郎さんは本に書かれていました。
この国は効率の使い所を間違えた。
教育に効率を求めてしまった、と。
松本紘さんは、講演の中でおっしゃっていました。
日本の大学は独自の仕組みになっていなくて、ヨーロッパのやり方を2年、アメリカのやり方を2年足して、合計4年になるような仕組みになっていると。
この国の教育は、どこに向かうんでしょうね。
吉田松陰が生きていたら。
どうするでしょうか。笑
自分も、人に何かを教える瞬間だけは、先生になることもあるでしょう。
先方に申し訳ないくらい頼りないですけど。笑
先生のみなさん、お願いしますね。