って、なんか日本らしくないですか。
良いものを買って、修理しながら長く使う。
美談として解釈すると、ええ話やなあと思う人は多いけど、自分のこととなると、手間になったり、お金かかることはようやらん、という人も多いと思います。
自分も含めて。
二極化もしてると思うんですけどね。
物心ついた頃には、既に世間では「良いものを安く」という言葉が溢れていました。
そのスローガンで高度経済成長を乗り切った部分もあると思います。
さらにその前は、日本製というのは「粗悪品」の証だったそうですから。
何の本か忘れましたが、アメリカの話で、「誕生日プレゼントのコートのタグにmade in Japanと書いてある!」と子供が悪戯で叫んで、それをプレゼントされた側が泣き出した、という記述がありました。
僕が子供の頃、made in Chinaというのは粗悪品の証でしたが、今はどうでしょうか。
中国製の製品を全て身の回りから排除しても、今とまったく同じ生活を送れる人が、この国にどの程度いるでしょうか。
それでも中国製を否定しますか?
今、工場経営をしていて思うのは、良いものを安く作るのは並大抵ではできない、ということです。
確かに違法なコピーをして、安価な製品を作るのは問題です。
ただ、とんでもない努力をして、今までにないものを作ったり、製品の品質を上げようとしている、それをもって売り上げに変えようとしている、という海外の動きがあるのは事実です。
それに、他人を糾弾したところで、自分の能力が上がるわけではないです。
基本的に良いものは高いです。
子供も知ってます。
幼稚園児でも、やっぱり神戸屋のパンはちゃうわ、と言います。笑
大人も知ってる筈(はず)。
それでも安いものを求めてしまうのは資本主義の末路なんかもしれませんね。
付加価値の向上を求めるのは、営利団体の究極の目的なのは間違いではないですが、なにも数値になるものだけが付加価値ではないことに、ええ加減気がつくべきなんやと思います。
協力工場との良好な関係というのは、数字で表現できないです。
教育も大きく関わっていると思います。
教育と洗脳は紙一重です。
初期費用として張り込んでおいて、時間が経てば回収できるような投資的な購買が、どうしてもできない人が多いように思います。
これは何も、ものを買う、ということに止まらないです。
習い事も食事も投資です。
しこたま溜め込んだ内部留保は何のために存在してるんでしょうね。
腐ってまうんちゃうかな。笑
金は天下の回りものと言いますが、回さず握りしめる人の多さ。
いつも火の車でヒーヒー言ってるウチみたいな会社も考えもんですけど。笑