お母さんの「敏感期」

相良敦子さんによる、イタリアの教育学者マリア・モンテッソーリの幼児教育について書かれた本です。

なんや、お父ちゃんは関係ないんかい、という人もちょっと待ってください。

相良さんから配慮の言葉が、ちゃんと書いてあります。

お父さんも是非読んでみてください。

この本ではなくても、モンテッソーリの考え方には、すべての保護者が一度は触れてみるといいのではと思っています。

僕は、モンテッソーリに限らず、この、考えに触れる、ということをすごく大切にしています。

何もモンテッソーリ教育を謳っている保育園なり幼稚園なりに入らなくても、モンテッソーリの考えに触れることはできます。

モンテッソーリ教育を謳っている幼稚園に入れたから、これでもうええわ、じゃだめです。笑

2019年に読んだのですが、その年に読んだ本の中で、一番読んで良かったと思えた本でした。

僕にとっては、救世主のような本です。

本を人に贈ると、読む時間を奪うことになるので、滅多に贈らない、勧めないのですが、この本は贈らせてもらいました。

子育ては大変です。

大変な理由は、たくさんあります。

1人目やと、経験が無い、というのもありますし。

間違えたらどうしよう、という恐怖感もあるし。

時間が迫ってくる、というのもある。

人に理解されづらい、というのもある。

可愛いからこそ精神的に疲れる、というのもあります。

感情の振れ幅が大きいとヘトヘトになるんですよね。

自分とこもそうでして、子供はホンマにこの上なく可愛いんですが、言い出したら聞かないこともあるんで、途方に暮れることがありました。

対策というのも色々ありますよね。

一つは、諦める、ですね。

これは時間に関してが特にそうで、後で予定があったとしても、子供の機嫌が悪くなりだすと、予定の変更を余儀なくされることがあります。

イライラしてしまいがちなんですけど、すっぱり諦めてしまうのも一つです。

だって、しゃあないもん。笑

諦めるというと、すごく後ろ向きな感じもしますが、そんなことはないです。

前向きに子育てをするための、一つの優れた方法です。笑

期待が大きいほど失望も大きくなるので、特に予定に対しては大きな期待をしない、というのも方法やと思います。

たとえば、ご飯は回転寿司にいくか、と予定を立てていて、子供がグズリ出して行けなくなる。

子供が失望するのはしゃあないじゃないですか。

自分のせいやし。笑

そこで親も密かに、よし今日は寿司食うぞと期待してしまうと、行けなくなったときにイライラ増加してしまうんですよね。

やから、最初から今日は行かれへんかもしれんと腹を括っておく。笑

なかなか難しいんですが、子供の尺度で考えるようにする、というのも一つですね。

親は、どうしても子供のために色々と考えがちやと思います。

ちょっと遠方に連れて行ってやろう、とか、これあげたら喜ぶやろな、とか。

今日は好きな食べ物作ってあげよう、とか。

それは愛から来る行動なんですが、あくまで親の尺度なんですよね。

子供からすると、近場の公園でいいんかもしれんし、もっと安物でいいから別のものが欲しいかもしれない。

いつも好きで食べてるものでも、今日はその気分じゃないかもしれない。

喜ばせてあげようというのが、もう既に自分勝手なんかもしれません。笑

一番いい方法は気にしすぎない、ですね。

小さいこと気にしてたらキリがない。

そして今まで大きかったことが、どんどん小さくなっていきます。笑

だって、しゃあないもん。笑

自分は、まだまだひよっこですが、親をやると、腹が据わります。

4人とか育て上げた人なんて、なんかオーラ出てますよね。笑

フリーザくらい倒せるんちゃうかな。笑

さて、モンテッソーリは、いつ出てくるんだろうか。笑

ヒラテッソーリの話をしてしまいました。笑

私、ヒラオカといいます。笑

どうしようもなくなって、嫁はんがこれ読んでみようと言って、買ったのがこの本やったんです。

実は、嫁はんが先に読んで、読んでみてと言われたんです。

正直、読むの気乗りせんかったんです。

自分が選んだ本ではなかったので。

でも、嫁はんが正しかった。

いつも嫁はんが正しいんですけどね。笑

モンテッソーリという人はすごい人で、当時女性で医師という人はイタリアにおらず、女性差別の中でイタリア初の女医になった人です。

ヨーロッパにもすごい人がたくさんいて、こと医療に関しては、国境なき医師団の本にもたくさん出てきたのですが、とても志の高い人が多いみたいです。

先人に素晴らしい人が多い、というのも一因かもしれません。

モンテッソーリは、自分自身思い悩む中で、どうしても自分は医者にはなれない、もう諦めようと研究室を後にして、その道すがら浮浪者の親子に出会います。

親は、明日食べるものにも困っている中で、その子供の目は輝き、生き生きとしています。

自分は何をやっているんやろう、自分は何のために医学を志しているのか、自分の生きる道はこれではないのかと決心して、元来た道を研究室へ引き返したそうです。

その後、後世に与えた功績は、世界が知るところです。

本の中に、女の子の事例が出てきます。

驚くほどその描写と実際に我が家で起こっていることが同じでした。

なんでうちの子が本の中に出てくるんやろう、と。

それくらい綺麗に本に書いてある通りでした。

本のタイトルにもある敏感期というものですね。

平たく言うと、子供がもつ特有のこだわりです。

お子さんがいる家庭の方は、だいたい思い当たりがあると思います。

言い出すと聞かない。

うちの子はこだわりが強すぎる。

思い込むと考えを変えない。

少しでも勝手に触ると、火がついたように不機嫌になる。

何のことはない。

子供は、だいたいそうらしいです。笑

自分ルールを作る大事な期間が、2歳くらいから6歳くらいまであるようです。

自分でルールを決めて、それ通りにやってみる。

それが崩されることは、まかりならぬ、と。

読んでいて一つ衝撃だったことがありました。

親の都合で、その自分ルールを曲げられた曲げさせられた子供は、一生規律を守らない人になる、ということです。

親が、こんなことしてたら清き良き大人になれへん、と、よかれと思って矯正すると、なんや決めたこと守らんでええんかい、おっけおっけ、ほなそれでやったるわい、となるみたいです。笑

なんか表現は、やさぐれた関西人のおっさんみたいに書きましたけど、ようはそういうことらしいです。笑

親は、力ずくで矯正することは、物理的には可能ですからね。

本を読んだ後、僕の悩みは、敏感期とわがままの線引き、という次のステージに移るのですが、この本を読んで得るものは、ものすごく大きかったです。

ヒラテッソーリの解釈では頼りないので、本家モンテッソーリを読んでください。笑

もっと早くこの本に出会えたらよかったのにと思う反面、早すぎると、この本がもつ魅力に気付けなかったと思います。

この本は、読むタイミングを選びます。

だから先に子育てを体験した人が、今や、というタイミングで人に勧めるのがオススメではあります。

収穫は、幼児教育に関することだけではありませんでした。

読めば読むほどそう思ったのですが、幼児教育とはつまり、教育の入り口ということです。

たとえば、子供に、ちゃんとして、って言っても、わからないんですよね。

他にも、気をつけて、とか。

ようよう考えると、わかるわけないですよね。笑

教わってないねんから。笑

遊んだ後は箱に戻してね、とか、白い線の内側を歩いてね、とか言わないと。

大人も同じ。

教わってないことはできない。

子供に、何か教える時は、過剰なくらいゆっくりと、具体的に、言い含めながら、やってみせる、と書いてあります。

これ実践するとびっくりしますが、子供はめちゃくちゃ注意深く見ますよ。

驚くほど細部まで。

だって、興味津々ですもん。

自分も、やってみたくてしょうがない。

どうすればいいのか、本能的に知ってるんです。

それを止めるのは愚かな大人たち。

僕の持論ですが、人間って、大人になるとアホになると思ってます。

子供は殺し合いしないですから。

子供を戦争に利用するくらい救いようのない大人がいるんですよね。

閑話休題。

というか。

脳内冷却。

ということは、幼児教育って会社の社内教育とかにも応用できるということですね。

考えてみたら、職人と子供って確かに似てるんです。笑

小さい字は読まない、とか。笑

自分が得することはすぐやる、とか。笑

自分ルールで無理やり進める、とか。笑

うちの職人、まだ敏感期なんかな。笑

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