言わずと知れた超有名な本で、1936年にデール・カーネギーさんによって書かれた本ですね。
時代を超えて世界中で読まれています。
邦題では「人を動かす」と訳されています。
読んでみると、このタイトルはちょっとどうかなと思うところはありますね。
winには勝ち取る、という意味があるようです。
僕は、スキルの本、というよりは心の本、というように感じました。
何年か前に読みました。
当時、仕事でうまくいっていないことがあり、ムシャクシャした気持ちになるたびに、一冊ずつ本を読んだんですよね。
イライラした気持ちを、本を読むという行為に変換してたんです。
たくさんイライラしたので、たくさん本読みました。笑
大きいムシャクシャほど、難しい本、と決めてたんです。
なぜかと言うと、自分の中に、見返してやる、今に見てろよ、という、割とダークサイドな気持ちがあり、自分が強くなることで、自分の敵が苦しむと思っていたんです。
敵って何やねんゆう話やんですけど。笑
自分が取れる数少ない方法が、本を読む、やったんですね。
活字を読むのは大好きで、小学生の時から苦にならないんです。
思えば小学生の時に赤川次郎の三毛猫ホームズから入って、東野圭吾、貴志祐介、宮部みゆき、鈴木光司、浅田次郎、乙一、奥田英朗、金城一紀、ヒキタクニオ…、他にも大学卒業までたくさん読みました。
もう内容はあんまり覚えてないですけど。
図書館も大好きなんで、神戸市立中央図書館、神戸市立三宮図書館、西宮市立中央図書館、西宮市立北口図書館、ハシゴしましたね。
お金も無いですしね。
本を読んでるとですね。
たまに同じ女の子がですね。
隣に。
花が咲いたようなフワッとした雰囲気が。
みたいなことは一切なかったですね。笑
一回くらいあっても面白かったんですけど。
そもそも若い人図書館来ないんですよね。
おじいちゃんとおばあちゃんばっかりでした。笑
ソファで寝てはりましたわ。笑
社会人になると、ほとんど小説は読まなくなりましたが、小説はいいですね。
語彙が増えるし、情報に厚みが出ますよね。
最近は、小説よりも固い本を読むようになったので、小説はおやつ的な感覚です。
でも栄養もありますしね。
自分が本読みになったきっかけなので、小説というジャンルにはとても思い入れがあり、感謝しています。
で、当時とても大きいムシャクシャがありまして、さて、どうしてやろか、と思ってたときに思い出したんです。
どうせ読んでもないくせに「カーネギーの、人を動かすはええぞ」とゆうた人がおったんですね。
ほんなら読んだるわ、と。
英語で読んだるわ、と。笑
後で言えるじゃないですか、「あれね、よかったよ。読んだよ、英語で。」って。笑
相手どんな顔するかな、と。笑
ひねくれてますよね。笑
復讐みたいな気持ちやったんです。
で、読み始めました。
その難しいこと難しいこと。
読み出したらすぐ邪な気持ち吹っ飛びましたわ。
そんなん気にしてたら読めへん。笑
書いてる内容自体は、そこまで難しくなく、むしろエピソードとかも多くて、わかりやすいんです。
ただ単語がめちゃくちゃ難しいんです。
自分が英語弱いゆうのが一番あれなんですが。笑
まず本自体が古いので、英単語でも古めかしい表現があるらしく、そういうのがたまに出てくるんです。
しかも途中で知ったんですが、誤字脱字もあるとのこと。
架空の単語や古い英単語やと、有料の辞書アプリでも載ってないんですよね。英和と英英両方入れているのですが、どちらも載ってません。
ちなみに音読です。
小さい声で。
会社でも家でも電車でも。
それには理由がありまして。
書き始めると長くなったので、別の記事にします。
ちなみに、この本を英語で読みたいと思ったこと自体、その体験の影響もあります。
僕は乱読が気にならないたちでして、他の本も並行して読んでたので、この本は1年半くらいずっと鞄に入ってました。
ペーパーバックという日本の文庫本みたいなやつなんですけど、わからない単語はピンクのマーカーを入れて、何ページか意味わからないままに音読した後、辞書で引くんです。
それをずっと繰り返します。
勉強方法としては合ってるんか知りませんけど。
特に前の方はページの半分くらいマーカーを引くこともあり、見る見るうちに真っ赤になりました。
たくさんの素晴らしい話が出てきますが、僕の中に3点ほど残りました。
1点目、sincerelyであるということと、flatteryはだめだということ。
sincereというのは、心からの真心の、ということです。
flatterというのは、うわべだけの言葉を吐く、おべっかを言う、ということですね。
心からの行動、発言でないと意味がないし、おべっかはすぐ人にばれます。
その時はうまく取り繕っても、後でばれます。
言わない方がはるかにマシです。
もしくは、だんだん少しずつ化けの皮が剥がれてきます。
期待を満足できなかったとき、期待は失望に変わります。
本気やからこそ、人は付き合ってくれるんです。
2点目は、人に興味を持ってもらうのは大変やけど、自分から相手に興味を持とうと思えばすぐや、ということです。
コミュニケーションをとる時に、一番円滑な状態は、お互いに興味を持ち合っている、ということなんですよね。
興味があるということは、相手の話を聞く態勢ができている。
耳というか脳の準備ができてるんですね。
人から興味を持ってもらうのはなかなか大変です。
少なくとも1930年代のアメリカにおいても、皆さん自分のことばっかりなんですね。
お前の話は聞きたない、俺の話をきけ、ゆう感じでしょうか。
時代が変わろうが、国が変わろうが同じです。
自分に興味をもってもらえたら、人は嬉しく感じます。
僕は、仕事でやりとりをする時、できるだけ相手の社名ではなく、名前で呼ぶように心がけています。
相手のことに興味を持つというか、相手を人間としてほんのちょびっとだけ好きになるように心がけてます。
ゆうてる間に相手の魅力に引き込まれてしまうことも多いですけど。
「言葉の領収書」というものもありますね。
何か勉強になった話を聞かせてもらった時に、あなたからこんないい話を聞かせて頂きました、ありがとうございます、というようなことを紙に書いて、話してくれた相手に渡す、お礼状のようなものです。
受け取った相手は嬉しいと思います。
別に紙でなくていいんです、相手のことに興味をもって話をきく、そして次に会った時にその話をすれば、相手も自分に興味をもってくれるようになります。
3点目は交渉しない、ということ。
交渉というのは、ゆうたら奪い合いですよね。
5個しかないものを、どうやってこっちに3個もらうか、4個もらうかという。
交渉しないということは、何個もらうか、が大事なのではなくて、相手は何を求めているのか、を考えるのが大事なんですね。
相手が欲しがるものを一生懸命探してきて相手に渡せば、相手も、もうそんなもん何個でもよろしわ、となりますよ。
いますよね。
自分だけは絶対に損したくないと、がむしゃらになる人。
相手に渡せば100の価値があるとしても。
自分が持っていても1の価値しかなくても。
これは俺のもんや、と。
もう渡してしまったらええのにと思います。
いつか50にして返してくれるかもしれません。
どっちが得ですか。
情けは人の為ならず、ですよね。
この言葉好きでして、合理性と人情がうまく入り混じった良い言葉やと思います。
合気道の塩田剛三さんも、カーネギーさんと似たようなことを言ってはりますね。
この本を読むことで、自分を見つめるための軸というか、今までとは全然違う角度の軸を知ることができました。
今まで一番読むのに苦労した本ということで、一発目この本を挙げておきます。