初めて自社のステンレスジョイントで、トライやる・ウィーク(以下トライやるウィーク)の受け入れを行っています。
2022年9月12日から9月16日の日程で、男子生徒が2名、今日から始まったところです。
トライやるウィークというのは兵庫県県民には、おなじみなのですが、公立中学2年生の生徒が県下の企業や教育機関などに社会見学として5日程度訪問する取り組みのことです。
中学生ということと、5日間という長めに日数は、全国的にも珍しい取り組みのようです。
ステンレスジョイントでは経営理念の中に「地域や未来に貢献する」という部分があり、その達成のための方法を色々と模索しているところでもあります。
ちなみに高校生の短期インターンシップは過去に3回受け入れています。
会社のウェブサイトでも取り組み内容を紹介しています。
もちろん過去の高校生インターンシップの経験から取り組みをアップデートしています。
今回は全社員が名札を付けたのも、過去のインターンシップ実施時のアンケート結果から得た要望を反映したものです。
トライやる・ウィーク自体は、1998年から始まったそうですが、僕は中学だけ私立だったため、参加していません。
なので僕にとってのトライやるウィークは、受け入れる側として初めて経験することになりました。
今回、武庫東中学校から連絡を頂き、初めて実施をするにあたり、色々と調べたりしました。
詳しい考察は、また改めるとして、初日の話を書きます。
初日にあたる本日、導入部分の会話として次のような話をしました。
世代も違うし、年齢も違うため、徒に小難しい話をしてもたぶん伝わらないと思ったので、できるだけ噛み砕いて具体例も踏まえて話しました。
知らないおっさんの話ほど、退屈なもんはないですからね。笑
ちょうど昨日、娘と一緒にジブリの「千と千尋の神隠し」を最初の30分くらい見たので、見ながら思うところがあって、3点、例として交えながら話しました。
さすがに2人とも見たことあると言ってましたね。
やはりジブリ強し。笑
以下大したことは書いてないですが、見たことのない人にはネタバレになるかもしれません。
ネタバレというか全然意味わからないと思います。笑
1つめ。
名前は大事。
1番の見どころと言っていいと思いますが、「千尋」が湯婆婆に名前を奪われて、「千」になってしまうシーンがありますよね。
これは映画の中ではなくて、実際の話ですが、生き物には本当の名前があると言われます。
いわゆる忌み名(いみな、諱)ですね。
それに対して、普段使うための名前というものがあります。
あざな(字)といいますが、いわゆる呼び名ですね。
特に中国や日本などアジアの特徴と思われますが、昔は、どんな身分の人でも忌み名と呼び名をもっていました。
今では、本当に高貴な家系の人だけが忌み名をもっている、とも言われていますが、ほとんどの人は忌み名も呼び名も一緒になって、その区別が無くなっています。
そして名前というのは魔力を持っていて、忌み名を人に知られてしまうと、その人の言いなりになってしまう、という言い伝えというか考え方があります。
やから、龍であるハクでさえも、名前を奪われてしまい湯婆婆の言いなりになってしまったわけです。
人間が名前を奪われたらひとたまりもないです。
この話、果たしてわかるんかなと思いながら話しました。笑
ちなみに話のソースは地獄先生ぬーべーです。笑
読んだのは小学生、中学生の頃ですが、ぬーべーからめちゃくちゃたくさんの雑学を学びましたね。
今は子供たちにも、よく話します。笑
やから、名前は大事、という話。
どんな人にも名付け親がいる。
親の形というか在り方も様々ですが、不運にも生みの親を知らずに育った人も、新しく育ての親から名前をもらうことがあり、その場合でも名付け親は、います。
名付けられた側は、その時の気持ちを受け取って生きてるんやね、という話をしました。
その気持ちは魔力となって、受け取った人の心と体を守る、というのは僕の持論でもあります。
僕も親と言い合いになることもあるし、子供たちを叱ることも多いけど、あなたたちも親と喧嘩することがあったりするかもしれないけど、名前をもらった、という事実は変わらないよ、という話をしました。
2つめ。
約束は絶対。
千と千尋の神隠しに戻ります。笑
物語の中で無敵の湯婆婆でさえも敵わないもの、絶対的なものがあります。
それが「約束」です。
千尋が湯婆婆のところに初めて訪れて、ハクのアドバイス通り、頑なに「ここで働かせてください」と言い続けるシーンがあります。
坊が起きたタイミングも手伝って、根負けした湯婆婆が、働きたいと繰り返し言い続ける千尋に対して、わかったと言ってしまうわけです。
ここに約束が成立します。
契約も同じことですね。
約束です。
たとえ湯婆婆であっても、約束を反故にして無双できるような設定にはジブリは、しなかったわけです。
約束は絶対。
実際に生きていく上で、ものすごく大事なことの1つやね、という話をしました。
3つめ。
働く者は強い。
ハクのアドバイスに従って、千尋が初めて釜爺のところを訪れた時に、釜爺が話したことです。
働く者には、湯婆婆も手出しができない、と。
それくらい働くという行為は強い行為ということですよね。
確かに、良い仕事には神が宿るともいいますし、無心で仕事に打ち込む人の姿には、どこか気安く声をかけづらいオーラのようなものが漂います。
と同時に、釜爺は中途半端に作業を手伝おうとした千尋に対して、手を出したなら最後までやれ、と一喝します。
その後に千尋は実際に働くということを、身をもって体験するわけです。
中学生にとっての、トライやるウィークとは、さながら千と千尋の神隠しの世界に迷い込んだ千尋の気持ちなんかもしれませんね。
人が動く、と書いて働くと読む。
それくらい働くということは当たり前のことなんだよ、という話をしました。
唯一免除される存在、それが学生であるということも伝えました。
そして学生も修学の期間が終われば、働いて納税することになる。
納税すると政治に対しても考え方が変わってくると話しました。
日程の中で、ステンレスを使って自分だけのオリジナルの小物入れを作ってもらうカリキュラムなんですが、僕らは何も小物入れを作ってほしいわけではなくて、それを通じて、ものづくりや働くことの意味や意義を知ってほしい、という話をしました。
これは余談ですが、宮崎駿さんの作品には、思いや考え方が散りばめられています。
見返りを求めることなく千尋を自分の孫だと言って世話をしてくれるようリンに頼み貴重なイモリの黒焼きを差し出した釜爺や、言葉は荒いけど釜爺に対してのお礼の言葉を千尋に促すリンなど、その行動には愛が溢れています。
偽善や、ただ自分をよく見せるための行動とは違う。
見てくれの綺麗さだけを美しさと定義しないのも宮崎作品の特徴ですね。
そういうものを僕も大事にしていきたいと思います。
これで久しぶりに見た千と千尋の神隠しの感想についての話を終わろうと思います。
あれ。
ちゃうな。
トライやるウィークどこいった。笑
まあええか。笑